頒朔の儀(または頒暦の儀)は、グエン朝における極めて重要な宮廷儀礼の一つであり、毎年旧暦12月1日に執り行われていました。この儀礼はザーロン(嘉隆)帝時代およびミンマン(明命)帝の治世初期に始まりましたが、大規模かつ明確な国家典制として確立されたのはミンマン帝の時代になってからのことです。特に1841年の辛丑の年、ミンマン帝は従来の太和殿の前庭ではなく、フエ王城の権力の象徴である「午門」で儀式を執り行うよう勅令を出し、儀礼空間における重要な転換点となりました。
史料によると、毎年の暦の編纂作業は、朝廷の最高天文機関である欽天監に委ねられていました。完成した暦は、文武百官や民衆に向けて厳粛な儀礼の中で頒布されました。暦の頒布は、農民が農作業の適切な時期を把握するのに役立っただけでなく、万民の生活に対する皇帝の深い配慮を示すとともに、時間と社会秩序を司る朝廷の至高の権威を象徴するものでもありました。現在、ベトナム国家公文書館第1センターに所蔵されているグエン朝の朱本(朝廷公文書)における綿密な記録からも、頒朔の儀が宮廷儀礼体系の中で実用性と文化・歴史的深遠さを兼ね備えた重要な一環であったことが窺えます。



