アンティエン寺は、ベトナム民族の歴史における多くの重要な出来事の足跡を宿しており、特にディン朝と前レ朝の2つの王朝と深く結びついています。ディン・ティエン・ホアン(丁部領)王の時代、アンティエン洞窟一帯は首都ホアルーの法場(処刑場・裁判所)として用いられていました。言い伝えによると、ここは罪人を懲罰するためにトラやヒョウなどの猛獣を飼育する場所として使われ、麓の解池(Ao Giải/ワニ池)は刑を執行する場であったとされています。武術師のチュオン・マ・ニ(Trương Ma Ni)とその息子である駙馬(皇帝の娘婿)チュオン・クアン・ソン(Trương Quán Sơn)がこの地域の管理を任されていました。前レ朝のレ・ダイ・ハン王の時代になると、アンティエン洞窟は981年の宋軍撃退後に捕虜を収容する場所としても使用されました。
ディン朝の終焉後、ディン・ティエン・ホアン王とレ・ダイ・ハン王の双方の皇后を務めた歴史上稀有な女性、ズオン・ヴァン・ガー(Dương Vân Nga)太后は、晩年の修行の場としてアンティエンを選び、宝光皇太后という法名を授かりました。太后はかつて法場であったこの地に寺院を建立し、厳格な法が支配した場所を清らかな仏の境地へと変貌させました。その姿は今も次のような民謡で歌い継がれています。
「二人の王を両肩に背負い
二代の皇后となりて、アンティエン寺に身を捧ぐ…」
李朝時代には、名僧グエン・ミン・コン(Nguyễn Minh Không)禅師がこの地を訪れて仏法を広め、洞窟内に仏壇を増設し、アンティエンを重要な修行の拠点へと発展させるのに貢献しました。何世紀もの時を経て、寺院は幾度も修復されてきました。同慶帝時代に建立された石碑をはじめとする古碑には、遺跡の修復過程に関する貴重な資料が今も残されています。
現在、アンティエン寺には仏像、グエン・ミン・コン禅師、ズオン・ヴァン・ガー太后をはじめ、チュオン・マ・ニ、チュオン・クアン・ソン、フーズン(Phù Dung)王女といったディン朝時代の歴史的人物が祀られています。ニンビンを代表する神聖な観光地であるだけでなく、勇壮な歴史の証人でもあり、忠義の心、民族精神、そして歴史と仏教信仰の融合を今に伝える場所となっています。

写真:寺院の古風な陰陽瓦建築